いじめ問題において、いじめられる側が悪いわけがない

真面目な話

どうも、ジスさんです。


さて今回のテーマは、いじめは絶対になくならないよって話。
ということで早速書いていきましょうか。

珍しくまともな話ですがあくまで俺の個人的な意見ね。

いろんな人がいじめ問題について小難しく自論を展開してる記事たまに見ますが、意外に簡単な話ですよ。

俺は過去、別にいじめをしてたわけでもなくいじめられた経験もはないです。
中学時代クラスでいじめられてた女の子がいて、まぁ俺もブスだなぁくらいには思ってたけど、いじめに加担するとか面倒くさいし巻き込まれたくなかったのでイジメられてるのをただクラスの片隅でゲームボーイアドバンスしながら見てたくらいですかね。

いわゆる傍観者というやつです。

高校時代、クラスの女子にアニメエロゲ好きがバレて若干いじめのようなことをされたけど、俺は女の子に罵倒されることで興奮してたのでいじめられたにカウントしていない。

未だに多くあるいじめ問題

さて、”いじめ”というのはちょいちょいニュースにも話題にあがる社会問題です。

いじめは学校、会社など至るとこであります。最近だとネットでもよくある。炎上もただのいじめだからね。

子どもの世界、大人の世界関係なくあるということですね。

いじめの原因

いじめの原因はさまざまです。

子どもの場合は、見た目でいじめの対象になることが多い気がする。

大人の場合は、見た目に加えて性格や仕事っぷりなど多方面から要因が考えられます。学校や会社で権力を持ってる奴がいじめる側になることが多い気がします。

いじめる側の思考

いじめる側の思考は至ってシンプル。

純粋に何かの理由で、ターゲットが気にいらないから。

俺がいろんな記事で書いていますが、”人間は知らずの間に常に他人を見下し、それにより自分の存在意義を確認しています。”

この感情はほぼ全員(特に日本人)持っている。絶対に。

人間ってのは個人でそれぞれ考え方が違うじゃないですか。
だから人間ってのは面白いんですけど。

その意見を相手に押し付ける時に、人は特定の意見の違う相手を攻撃するような気がします。

例えばリンゴが机に置いてあったとして、『これは何ですか?』という質問をしたとします。

まぁ当たり前だけどリンゴなので、だいたいの人はリンゴと答えますが、人間の考えというのは様々なので、ひょっとしたらそのリンゴをミカンという人がいるかもしれません。

そこでリンゴ派は、ミカン派の人の考え方はおかしい、馬鹿だ。と思うわけです。

逆にミカン派はそれが本当にミカンだと思ったからミカンと言ったわけで、リンゴ派は頭が悪いなぁ、とお互いがお互いを心の中でけなすわけです。

リンゴ派とミカン派はお互いを敵視し派閥が生まれるわけです。いじめというか喧嘩のような気もするけど。

今回の例はリンゴなのでリンゴが正しいんだけど、それが答えのないもの。もしくは答えがまだ見えてないものだとしたらどうでしょう。

”議論”もしくは”戦争”というものが行われるわけです。

人間はロボットではないので、思考がそれぞれ違う。

ゆえに意見の違いで対立する。ということ。

俺はその事柄の答えよりそれに至るまでの過程を考えるのが好きな人間なんで、正直答えなんてどうでもいいんですけどね。考えたとこで結局決めるのは自分。国に関する事ならお偉いさんが決める話です。

”朝まで生テレビ”みたいな討論番組かなり好きでよく見てるんですが、あれなんてそれぞれのパネラーが自分の思考によって導き出した答えの答え合わせの場所ですよね。なぜその答えに至ったかの過程を知ることができるので観てて楽しい。


いじめってのはその論争の一番小さな部分だと思う。

意見が食い違うから対立が起きるのだ。その対立で答えがどうであろうと、多数派の人間が徒党を組み少数派を攻撃するのだ。

いじめる側の思考というのは、誰しもが持ってる他人を見下すという感情を直接相手にぶつけるわけです。感情の赴くままに。

その瞬間はいじめる側の思考というのは、めちゃくちゃ爽快感あると思いますよ。

一人がいじめられると周りの奴らも今まで普通に話していた人が途端にいじめたりしだすものです。集団心理というやつだね。仲間という同一意見を持った人と協力して実行するんだから、そこに謎の結束力も生まれちゃったりしてね。

あといじめる側というのは、目上の人の前ではいい人を演じることが多いです。
学校だったら先生とか会社だったら上司とか。この思考は自分が上に行きたい、出世したいという思考。

いじめる側にとっていじめのターゲットを立場的に上に見ることはまずないので、こいつよりは上、こいつよりは出世できる。という保険のようなものです。それによって得られる安心感というのは、いじめる人間でなくても必要にしてることが多いです。

ここまでで言えるのは、いじめる側というのは自分の欲望に忠実というか悪い意味で素直な人だなってことが言えますよね。ストレートに言うなら”ただのガキ”なんですがね。

いじめを回避するには

今度はいじめられる側の話。

いじめはいじめられる側にも原因がある。

なんて言う奴もいますが、俺から言わせてもらえば絶対にそんなことはない。そんなんいじめる側がいじめを肯定的な物にしたい言い訳。もしくは傍観者、第三者の戯言。

先ほど述べたとおり、いじめる側は見下せる人間を見つけて攻撃することで優越感に浸るので、”ターゲットが絶対こいつじゃないとだめ”っていうのはあんまりないんですよ。

大人のいじめになるとまたちょっと複雑になってくるのですが、基本的にどこか見下せる部分があると誰でもターゲットになる可能性があります。

つまりいじめのターゲットになる人は、普通の人より劣っている部分が見えやすい人なのかもしれません。

子どもの頃は見た目でいじめの対象になりやすいと書きましたが、子どもの頃はその人の本質に気づく能力が足りないので見た目でターゲットを決めるんじゃないかなって思ってる。

大人のいじめになると、そこに相手の本質が見えてきて見た目以外のことも要因に加わるから余計にめんどくさい。


原因を回避する方法のひとつに、明るく振舞う事というのは大事かもしれません。

見た目は正直簡単に変えることは難しい。

だったらとにかく明るく振舞うことで、可愛げのある人と認識されていじめにまでは発展しないかもしれません。ムードメーカーというのはなんだかんだで周りから慕われることが多い。クラスのお調子者が学級委員になってクラスを引っ張っていくみたいなことよくあるよね。

逆に暗い性格だといじめる側を更に燃え上がらせるかもしれません。俺は昔から性格変わってない中身は真っ黒だったけど、普通にクラスのヤンチャなやつとゲームの話とかしてたし、結構くだらん話で盛り上がったりしてたのでいじめのターゲットにはならなかったみたいです。ポーカーフェイスが大事な場面もある。


もうひとつは逃げること。 

なぜイジメはなくならないのかという疑問はさっき書いたとおり、人間が他人を見下しながら生活をしているという人間の本質がある限りなくなることは絶対にないです。

どうせいじめはなくならない。

先生や会社の上司もあてにならないです。

だったら逃げろ。
精神が崩壊する前に。

まとめと俺の思考

まとめになります。

いじめる側の思考のとこでも書いてるとおり人間の基本思考が他人を見下すという思考なので、いじめは現状なくなりません。

これからもいじめる人、いじめられる人ってのはもちろん出てきます。

まずよく言われている、ネットが普及したことで更にいじめが増えたってのは違うと思う。

ネットが普及したことでいじめのバリエーションやパターンは増えたけど、それが他人にも可視化しやすくなっただけで、ネットがなかった頃から根本は変わらない。

これからも俺たちはいじめ問題について考えていかないといけないなって思いますよ。絶対なくならないこの問題を。

いじめる側が悪い、いじめられる側にも原因がある。
とかは人間それぞれの考え方の違いになるので議論しがいのあるところですよね。

俺はさっきも書いたとおり100%いじめる側が悪いと思うけどね。

もうちょっと考え方のしっかりした、というか”自分は自分、他人は他人”という考えの人が増えればいじめは少なくなるとは思うんですがどうでしょう。

そういえば、小学校の頃の道徳の授業でいじめ問題についての授業がありました。

いじめる側、いじめられる側、傍観者の3つのタイプで一番悪いのは誰だと思いますか?というテーマが出題されたのをこの記事を書きながら思い出しました。


小学校の頃の先生は傍観者が一番悪いって言ってました。

ネットで傍観者が悪いという記事も検索して読んでみました。

傍観者もいじめてるのと一緒。いじめを容認しているということで、次に自分がターゲットになりたくないから傍観者になって、そのいじめられている人に申し訳ないと思いながらも見て見ぬふりをするんだ。一番よくないことだ。

この話を受けて、中学時代傍観者だった俺の思考を今になって思い返すと、次にいじめのターゲットが自分になると嫌だなって思いはたしかにあったね。でもその他は全くそう思わないです。

傍観者もいじめてるのと一緒でいじめを容認しているってのが一番意味がわからないんだよね。知らない間にいじめる側が勝手にいじめを容認してる肯定してるってのがまず意味がわからない。

仮に気づいても、いじめる側のバカにはなりたくないし、いじめられる側にもなりたくない。人間なんだかんだで一番大切なのは自分自身だ。

いじめられる側を助けるハートフルストーリーたまに見るけど、結局助ける側も上司や先生にいじめを助けた勇敢な人と見られたいだけ。自分に酔ってんだ。

見て見ぬふりするのはおかしなことじゃない普通のことだと思うけどね。

大人や先生を頼りなさい。◯◯さんがいじめにあっています。と伝えなさい。

ってのもよく聞くが、まず根本として先生はいじめを把握してないとダメだろってのと、それを先生が把握していじめてる生徒に指導したとこでどうせ先生の見えないとこでまたやるんだからいじめるやつってのは。

バカは何言われてもバカ。自分が変わろうと思わなければ何も変わらない。

実際いじめられる人は相当苦労してると思うよ。それは痛いほどわかる。いじめられていい思いするやつなんていない。(高校時代の俺は除く)

でも俺を含む傍観者ってのは基本そういう思考だと思いますよ。

やっかい事に首をつっこみたくないんだ。正直勝手にやってくれってかんじ。

普通に俺もいじめってのはなくなればいいなって思ってる人間ですが、今の現状じゃ絶対なくならないという終わりのない問題です。なかなか難しいですよね。

学校は義務教育という逃げ場のない状況なのが更にやっかいだ。無理にでも学校に復帰させようとする。大人になった今なら逃げるってのが下手したら最善の方法なのかもしれない。

皆さんはこの問題どう考えますか?

それではまた次回。

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