どうも、ジスさんです。
春である。
春といえば皆さん何を思い浮かべるだろうか。
新生活、桜、出会い、花粉、おちんちん。
春と聞いて、各々連想する単語は違うだろう。
そんな俺は春と聞いて一番最初に連想するのは”我慢”である。
なぜ我慢なのか。
春は俺を筆頭とした変質者が多くなる時期ともいわれている。
おもむろに公園で下半身を露出したり、女性に向かっておちんちんを露出したり。
凍えるような寒さの冬を切り抜け、春の訪れとともに変質者が冬眠から覚め始める時期。
冬眠から覚めるのは動物だけじゃない。変質者という野獣の目覚めをも意味している。
俺だって外で下半身を露出したくてしょうがないんです。
もう物心ついた時からずっと思っているんです。
通常時は蝶の幼虫のような可愛さも兼ね揃えつつ、勃起時には龍の如く立派なおちんちんを披露したくてしょうがないのです。こんなしょうもない記事を書いている暇があるなら今すぐに全裸でおしっこ漏らしながら外を走り回りたい気分です。
しかし実際に露出しちゃう頭のネジが飛んだ変質者とは違って、俺にはまだ自制心というちっぽけなプライドがあるんです。
露出したいがブタ箱に入りたくない。露出したい欲とブタ箱に入りたくないという感情で勝つのはやはりブタ箱に入りたくないという人間として正常な心。
よかった。俺もまだ人間なのだ、と。
しかし、なぜ外で露出をしてはいけないのか。
常識なのだ。常識ではあるんだけど、外で露出をしてはいけない理屈がわからない。
この疑問は単純なようで、実は結構深い疑問のような気がしてならない。
極度のマザコンをこじらせている俺は幼少時代マッマに同じ質問をしたことがある。
答えは「社会がそういう仕組みだから」という返答が返ってきたのをよく覚えている。その時は納得したが、今になって思うとなんでそういう仕組みになっているのかがどうも納得ができない。
倫理観という言葉がある。
行動が正しいか悪いか。その行動を社会的に共有された価値観のようなものが倫理観だ。
困っている人がいたら助けるのは良い。人を殺すのは悪い。これは倫理的に考えて俺たちは判別するよね。
そして外で露出することは悪いことである。
これも一瞬で判別できる。倫理的に常識だ。
ではなぜ外で露出してはいけないという倫理観になっているのだろうか。
「不快」「精神的ショック」という意見がある。ごもっともな意見である。
ではなぜ裸だと不快であり精神的ショックを受けてしまうのだろう。
生まれてきた瞬間は皆裸。しかし人間は成長と共に洋服を身にまとい、自分の肌を隠す。そして洋服を着ていないものは変人扱い。
きっと今このブログを書いている俺の姿を見ると変人扱いされることは間違いないだろう。全裸に口にタバコを咥えながら、時折おちんちんにニッコリ笑顔で微笑みかけながらブログを書いているのだから。
アダムとイブが林檎を食べてから裸は恥ずかしいという概念が生まれ局部を隠すようになった『禁断の果実』という有名な伝説というか、もはや作り話だろって思ってる話しがあるが、俺は林檎食っても裸で外を走り回りたい欲は収まるどころか、林檎の赤くて丸いフォルムを見るだけで林檎が巨大なクリトリスに見えて勃起してしまうまである。
なぜなのだ。
なぜ全裸という、あの生まれたままの美しいフォルムに不快感を感じてしまうのだ。
わかってはいるのだ。外で裸になってはいけないことなど。
しかしそれが理屈で理解できないのだ。
しかし理解できない部分があるからこそ人間の心理というものは面白いものなのだ。
暇な時間ができたら常にこんなことをずっと考えて結局答えが出ないまま眠りにつき、明日になったらなんでこんな記事書いたんだろうと自問自答する毎日です。どうもジスさんです。
全裸で思い出したけどそろそろ本格的に夏服の準備が必要ですね。
ではまた。