どうも、ジスさんです。
さて今回のテーマは、努力したことないくせに結果だけ求めてきたゴミカスの話。
ということで早速書いていきましょう。
ガキの頃は何かと人生に期待をしたものだ。
将来は○○になりたい!だのお金持ちになりたい!だの、根拠のないしょうもない将来象描いちゃって、未来の自分に期待して過ごしてきた。おまえらも絶対そう。俺もそう。
でも、期待をすると裏切られた時の反動は大きい。
何回も記事で書いているが、人間は良い思い出より悪い思い出のほうが記憶に残りやすい。
特に日本人はそう。期待をしすぎるとその期待が叶った時はそりゃ嬉しいが、叶わなかった時の絶望感が段違いだ。
俺はなんだかんだで自分大好き人間ゆえ、多分ちょっと前の俺は今後の人生に期待して生きてきた。そして、そのたびに期待とは逆のことが起こり絶望してきた。この人生は期待するだけ無駄だ。だったら期待するのはやめよう。傷つきたくないという防衛本能。平和に生きたいという現実逃避。
1年を象徴する漢字が毎年発表されるという実にどうでもいいイベントがあるが、俺を象徴する個人的な漢字一文字を発表するなら2019年は間違いなく”逃”だろう。
いや、そもそも生きてきた29年間常に”逃”という漢字が俺の脳内を駆け巡っているのかもしれない。
そう・・・。俺という人間の本質は”逃”で形成されているのだ。
嫌なことからはとにかく逃げる。今思えば昔から大した努力もせず、好きなことだけをして生きてきた。
しかしこの社会というのは不思議なので、嫌なことから逃げ続けても不思議とある程度の生活できる仕組みになっている。適当に働き、家に帰ってアニメ見てゲームして、寝て、休みの日はゲーセン。
その繰り返しで一体なにが楽しくて生きてるかは自分でもわからないけど、なんとなく毎日は過ごせるのだ。
そのなんとなく毎日が過ごせているという事実が、俺から期待する。という気持ちを失わせてしまったのかもしれない。なんだかんだで普通に生きることができるんだから。最悪親のスネを齧ればいい、なんて思っちゃってる自分がまだいるからね。
3ヶ月という実に短い時間だが家族を持った。嫁を持った。その瞬間はこんな俺でも将来に向けて期待をした。
しかし結果はおまえらもご存知のとおり、期待するだけ無駄だった。
期待しては裏切られ、その繰り返し。一体何が楽しくて生きてるのか。人間とは脆い。すぐに塞ぎ込んでしまう。
しかし、それと同時に時間。そしてそれに伴い人間に元から備わっている治癒能力というものの凄さには俺は大層驚かされる。なんだかんだでまた普通に俺生きてるし。
過度な期待を失敗と例えるなら、失敗は成功のもと。という格言はある意味的を得ているのかもしれない。まぁ俺は別に成功もしてないけど。
話を戻して、なんとなく毎日過ごせてる。
これが、まさに俺の本質である”逃”を象徴しちゃってるんだよね。
いや、毎年そうなんだけど、本当今年の俺っていつにも増して何してたのって聞かれても、本当何もしてない。毎日かかさずやってたことって呼吸とタバコとオナニーくらいで。
なんとなーく新しい職場で仕事して、家に帰ってアニメ見てゲームして、寝て、休みの日はゲーセン、ブログ書いたりカードしたり。
今まで特に努力して生きてきたわけでもない。なんとなく生きてきた。なんとなく生きてても生活できる社会だから。でもそういう仕組みの社会が悪いんじゃないってのは実は昔から気づいてるんだよね。
果たしてこれでいいのかね?
自問自答してみる。
胸にぐっと手を当てて聞いてみる。
よかった、ちゃんと心臓動いてた。
生きてた。
どうせ生きてるんなら何かに全力で打ち込みたい。そう思った。
全力で打ち込むのは、思いつきで面白いネタをやることじゃない。何かに努力をして取り組むということだ。
思いつきで面白いネタやるのは俺の性癖みたいなもんで、結果最初から自分が得する未来が待っているからだ。
ここで言う努力とは、苦労して何かに取り組み、その結果それがいい方向に転ぶことを期待することだ。
今まで努力とは無縁だった俺。努力してないのに結果だけ期待して、そのたび絶望する。何もしてないのに結果だけ期待するってつまんない、というか俺はそれをし過ぎて飽きた。
全力で努力して、その結果成功もしくは失敗した時、その先にどんな世界が待っているのか。
ちょっと見てみたくなった。その時の俺ってどんなかんじになるんだろうってね。
2020年はそういう年にしようと思う。実はもうすでに2020年のことを頭の中で考えてたりはする。
大丈夫。昔からやりたいことだけは全力でやってきた俺だ。ちょっとくらい嫌なことがあってもできる。ジスさんはできる。いい子いい子。あぁんもう俺大好き。そりゃ自分の顔鏡で見て気づいたら30分立ってるわけだ。
俺ももう若くないしな。努力できる機会なんてもうそんな多くないだろう。
死ぬまでに努力してどうなるか。その結果を見てみたい、そう願う俺様であった。
ではまた。